オシエクはこじんまりしていて、時の流れが緩やかだった。町にはドナウ川よりもサヴァ川よりも、ずっと小さなドラヴァ川が流れている。少しその周辺を歩いてみる。午後からは本来の目的地、ヴコバルへ行く。ヴコバルはクロアチア独立紛争でとくに戦禍が激しかった場所。ヴコバルの虐殺として知られている。
オシエクを歩く
宿からは徒歩5分の場所にバスターミナルも駅もあった。

とりあえず、自販機のコーヒーを見かけたので飲みながら散策する。3〜4クーナなので買ってしまう。この時のレートは、1クーナ ≒ 17〜18円前後だったため、4クーナのカプチーノは約72円くらい。
町の中心に向かって少し歩く。なんだかクロアチアという国は快晴という記憶しかない。1ヶ月ほど滞在したほとんどの日が幸運にも天候に恵まれていた。

オシエクは内陸の町だからか、ザグレブのようにオーストリアなど中欧の影響が強そうな建物が多いなあ。装飾がゴテゴテしている。細かい彫刻があると、優雅だよね。

スフィンクスを見かける。大英博物館で見た盗品でもなさそうだし、なんでこんなものがこんな所に?という疑問が湧く典型の像。
ドラヴァ川。川沿いのカフェはのんびりした時間が流れていた。
戻ってきたときにこんな場所でゆっくりしたいなあと思いながら、町の中心へと歩く。
オシエクもトラムの町で、最新型が走っていた。

こじんまりした広場を抜けていく。プチウィーンのような雰囲気がある。ウィーンは行ったことがないけれど、トラムが町中を走っていて、ずっとオレンジ屋根で4〜5階建ての、100年は経過していそうな年季の入った建物が広場の周りを囲んでいる。そんなのをイメージしていた。
また誰かの彫刻作品なんだろうか。

町で一番大きな大聖堂。ネオゴシック様式で、この町の規模にしては大きすぎる?と思うくらい。

クロアチアのそれなりに規模のあるカトリック教会には、オルガンがある。たいてい入口の頭上にあることが多いんだけど、そこまで行けなかったりする。ここは間近では見られなかったなー。

ゴシックだと必ずあるのが、縦に細長いステンドグラス。モザイク画と同じく、平面的なイラスト。物語の挿絵のよう。

ヴコバルに行く前に小さなファーストフード店で、チェバッピをテイクアウトする。18クーナだった。300円ちょいくらいかな。

ヴコバル行きのバスの中で、チェバッピを食べた。ハンバーグのように丸めた肉を、生タマネギを添えてピタパンで挟んだもの。訪れたクロアチア、ボスニア、セルビアのうちどの国でも食べられているファーストフード。国民食をローカルバスに乗って味わう。
ヴコバル病院
オシエクからバスに揺られて、1時間もかからない近郊の町、ヴコバルに着く。
旧ユーゴ紛争について調べていると、このヴコバルという言葉をよく目にしていた。セルビアとの国境沿いに位置し、とくに戦禍が激しかった場所として。虐殺の名前にもなっていたから。
そうした経緯もあって、ヴコバルがどんな町なのか見てみたかった。クロアチアはできる限り戦争での傷跡をそのままの形で遺している。その一つが、負傷者の治療を行っていたヴコバル病院(Place of Remembrance - Vukovar Hospital)の地下だ。
当時の様子を人形を配して、模してある。
クロアチアの独立宣言後、当時セルビア主導だったユーゴスラビア人民軍によって包囲され、たくさんの砲弾が浴びせられた。そのさなか、負傷兵や市民が地下で水も電気も薬もない状態で治療を受けていた。

冷たい壁が伸びる地下の通路を進んでいく。すると、天井に巨大な空洞が見えてくる。これは何だろう。
ヴコバルが包囲され、砲撃を浴びせられたときに、一つの巨大な爆弾が病院の屋根を貫通した。幸いにもこの地下の天井で止まった。その爆弾は幸いにも不発弾で爆発しなかった。
負傷者を治療するための病院にまでこんな砲弾を投下したという事実をクロアチア側は重く受け止めている。

こんなふうにレプリカの砲弾と共に、衝撃の跡が遺されている。
砲弾から逃れた負傷者や市民は、安堵したのも束の間、最後の砦だった病院も包囲され、地下にいた負傷者や市民のうち260人ほどは、オブチャラという農場に連行され、暴行を受けた挙句、その多くが銃殺されたそう。それがヴコバルの虐殺、またはオブチャラの虐殺と呼ばれる。

この病院はかなり記憶に残っていて、ヴコバルの惨劇をより当時のままに伝えている。今は平和に見えるこの町も、かつては多くの命が落とされた場所だった。それが20数年前の出来事だった。
戦争は終わっても、民族間のわだかまりはもちろんなくならない。戦争後に生まれた若い世代であっても、自分の両親や祖母祖父には関係があることが殆どだ。どんなに恨んでも、もう亡くなった人は戻って来ない。世代交代が進むまで、何も伝承されなくなるまで、喉に突き刺さった小骨のように、ずっとその感情は残り続ける。消化されることはないんだろう。そう思った。

砲弾の跡
そのあとも砲撃の跡がそのまま残されている建物も目にした。

この建物だけでもすごい数が撃ち込まれていることが分かる。

ヴコバルにはその他にも戦争の痕跡を伝える建物や展示が遺されている。

オシエクに戻っても、砲弾跡が残る建物を見かけた。オシエクはヴコバルほどの壊滅的な被害を受けたわけではないけど、この地域はセルビアと隣り合わせだったので、砲撃は激しかったみたい。


このあと、ヴコバルで博物館の展示を見終えるころにはもう歩き疲れてしまって、オシエクに戻ってきてしまった。
ヴコバルの見どころは、こちらも爆撃されてボロボロになった給水塔だったんだけど、それを見に行かなかった。このときは疲れてもう無理だったから。歩くとけっこう遠い、給水塔。遠くからでも見てみればよかったなあ。
落書き
落書きがあったら、思わず写真におさめてる。なんか政治的意図がありそうな予感がする。


ここはなんだか北斎のようなグラフィックアート。こんな場所で、こんな日本風な落書きがあるのは面白い。やけに完成度が高いなあ。
