UNFINISHED

未整理の町

この日は、一日中ベオグラードの町を歩いてみている。見ておきたかった場所、主に建築物を訪ねてみる。太陽が出ているうちは半袖になるくらい暑かったけど、陽が沈むと冷え込んだ。

昇天教会

泊まっていたアパートメントから徒歩数分の昇天教会。入り口からモザイク画が見える。こういうのは、カトリックでもイスラムでもない。今まで通ってきたクロアチアはカトリック、ボスニアはイスラム。セルビアはロシアと系統が同じ正教。 Walking in belgrade Walking In Belgrade

この金ピカのイコンにキスしていく地元の人を多く見かけた。 Walking in belgrade

ロシア正教と同じく、源流は東ローマ帝国に遡り、ビザンティン美術なんだけど、カトリックが写実的な西洋画なのに対して、かなり平面的に見える。 Walking In Belgrade モザイク画になると、影がなく奥行きがない平面的な絵の方が映える!ので、それがとても良い。 Walking in belgrade この教会では、こんな場所にいるアジア人が珍しいのか、沢山のセルビア人に話しかけられた。急に寄ってたかって囲まれて、「どこから来たの?」「ベオグラードに何日いるの?」「何してるの?」など問い詰められた覚えがある。セルビア美女から、お爺さんなる人まで。人懐っこく、見ず知らずの異国の旅人にも躊躇なく話しかけてくるようなフランクさを持つセルビア人たちにたじたじで応答する。旅してきたクロアチアやボスニアで、教会やモスクに入っても、ローカルなお店に入っても、この教会で詰め寄られたときほど、質問攻めに遭ったことなどなかった。

この時に一人のお爺さんが、空爆のことを話していたことを思い出す。日本のどこ出身なのかと訊かれたので、広島と答えると、広島もベオグラードと同じだ。USAから爆撃にあったよね、それが原爆だよね、と。

ベオグラードがNATOに空爆されたことは知っていた。その被害を負った事実を風化させまいとして、空爆されたビルがそのまま残されてあるくらいである。ボスニア内戦でのセルビアのイメージがプロバガンダによって固定化され、セルビア=悪者という図式が国際社会で出来上がっていた中で、NATOを主導していたアメリカはベオグラードに空爆したのだった。でもそれを、広島の原爆と同じだという視点を持ったことはなかったので、かなり衝撃を受けた。自分は広島出身にも関わらず、祖母が原爆の被害にあったのにも関わらず、隣県の岩国基地を見ているにも関わらず、アメリカに対しての反感を持ったことがなかった。

そのあともずっと、広島の原爆はNATOの空爆と同じなのかな、と考えながら教会を後にした。国際社会が望む正義を全うしたとアメリカなら言うんだろう。そういう意味では、あのお爺さんの言うように同じものだとして語られるのも分からなくはない。

NATO空爆跡

そこからそう遠くないNATO空爆跡を見にいく。爆撃された当時のまま残してある。建物が崩れないように補強はされている。 Walking in belgrade 欧州にある都市が歴史を過去のものとして消費しているなか、ベオグラードはどこか歴史の中にまだいるような印象を受けた。まだ歴史が完全な過去になりきっていない。

Walking in belgrade ベオグラードの他の建築物と並ぶと少し異質にも感じる。

聖サヴァ大聖堂

ベオグラードの駅から聖サヴァ大聖堂に行くまでの道のりは、この時は大工事中だった。どこもかしこも、石畳みが外されて、下水道が見え隠れしている。これから向かう聖サヴァ大聖堂も同じように、建設の途中だった。1935年に着工なんだけど、終わらない。着工後、すぐに第二次世界大戦に突入してしまい、建設停止されたことも要因の一つ。

Walking In Belgrade

かなり大きい!デカい、一見大聖堂というよりはモスクに見える。見かけ上は完成しているようにも見える。しかし内部はまだ、こんな感じでコンクリートが剥き出しだった。

Walking In Belgrade

めちゃくちゃ工事中だなあ。まるで、セルビアそのもののようにも思える。 Walking in belgrade

1935年からずっと建設中というよりは、何度も時代によって建設が止まってきた。旧ユーゴ時代は社会主義で、宗教がアイデンティティにならなかった。どっちかというと、民族統合。国家プロジェクトとして進めるには宗教的すぎて、旧ユーゴ時代の思想には合わず、積極的に建設が進められることがなかったそうだ。

そのあと、旧ユーゴを牛耳っていたチトーが死去してからは、また建設が進むが、1990年代に旧ユーゴが分裂する戦争が起こり、再び建設が止まってしまう。

その地下はほぼ完成されてて、見応えがあった。 Walking in belgrade

Walking In Belgrade

聖サヴァ大聖堂は寄付金により、賄われているらしい。カサブランカにあるバグみたいな大きさのモスクもそうだったけど、国家プロジェクトとしてここまでの宗教施設を作るってかなりの宗教アイデンティティがある。建設費用は、一億ドルを超えるんだとか。

未完成の大聖堂には、セルビアのアイデンティティがそのまま残っているように見えた。それは完成していないという状態も含めて。途中経過を見られたことは、今思えば少し特別なことだったのかもしれない。

Walking In Belgrade

今はこの内部は金モザイクの装飾で埋め尽くされている。このときからは想像もつかなかった。 Walking In Belgrade 大聖堂周りの広大な遊歩道を散歩して、大聖堂を後にする。

ベオグラードにはサラエボと同じようにトラムが走っていた。それに乗ったり歩いたりして、いろんな場所を訪ねてまわる。こちらは国会議事堂。国会議事堂は当たり前だけど、中に入れず。

Walking In Belgrade

聖マルコ聖堂

聖マルコ聖堂(Church of Saint Mark)にも来てみた。こちらも聖サヴァ大聖堂のようなドーム式ではないけど、セルビア正教会。 ここにくる途中だったと思うけど、トラムだったかバスだったかに乗っても、全然道路が工事中で進まなかった覚えがある。待てなくて結局降りたんだっけ、どうしたんだっけ。 Walking in belgrade 内部にてレプリカを発見。 Walking in belgrade イコンが並んでいる。みな、想い想いに祈りを捧げ、キスをしていく。 Walking in belgrade 今日見た昇天教会、聖サヴァ大聖堂、聖マルコ聖堂はどれもセルビア正教会なんだけど、作られた時代が違うからか、建築様式や祭壇の装飾などが全く違う。別宗教かと思うほど。セルビアという国が時代によってどう正教会を位置付けたか、それが正教会を通して見えてくるようだった。

肉を食べる

セルビアらしい料理が食べたいなあと思い、旧市街へ公共バスで向かった。バスの中でも、セルビア人たちが「May I help you?」という感じで話しかけてきた覚えがある。この東洋人はバスの乗り方が分からないかもと思われている。お節介というか、旅人に親切すぎる国民性に驚く。 Walking In Belgrade 日本以外の国では自国の旗を掲げているのをよく見かける。 Walking In Belgrade 昼ごはんはこちらで。 DVA JERENAっていうレストラン。かなりの老舗。 Walking In Belgrade Walking In Belgrade Walking In Belgrade 普通に美味しかった覚えがある。肉をたんまり食べられて余は満足じゃ。

落書き

町中を歩いていると、落書きをよく目にした。適当にスプレーなどで殴り書きされたものから、細かくレタリングされたものまで。 Walking in belgrade

Walking in belgrade ベオグラードにはビーガン多いのかな? Walking in belgrade

郊外でもなく町の中心部なのに、修繕中の道路が続いていた。 Walking in belgrade いつもそうなのか、このときがたまたまそういう時期だったのか、一度きりしか行けてないから分からないんだけど。 Walking in belgrade

アパルトマン

滞在したアパルトマンは4階だったと思うんだけど、そこに行くまでは旧式のエレベーターがあった。 19世紀からタイムスリップしてきたのかと思わせるような二重扉のエレベーターが、このアパートメントのハイライトだったように思う。乗る度に嬉々として乗っていた。 Walking In Belgrade ボタンも何だか80年代のSF映画に出てくる、モニター前にある操作画面のようw

それと、ベオグラードのこの時期の夜は冷えたので、暖房を使ってみた。エアコンは部屋になかったけど、欧州でよく見かけるアコーディオンのような形の暖房器具。初めてここで、こいつを見かけて、使ってみた覚えがある。

スーパーで買ってきたこのヨーグルトな飲み物が美味しくて、部屋で飲んでいた。 Walking in belgrade

余談

土産屋にはやっぱり、ジョコビッチのTシャツが並んでいた。これは聖サヴァ大聖堂の。 Walking in belgrade

ベオグラードだけでなく、旧ユーゴの他の町でもよく見かけた記憶があるのだけど、犬の散歩にリードを使っていなかった。しかし、犬は問題なく飼い主について行っている。 Walking in belgrade よく躾けられてるなあ、と感心していた。

2017年の旧ユーゴ旅を、記憶を頼りに再編集しているブログ。時間が経っても残り続けたことを書き留める。2026年執筆はday25から。more

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